シルクロードの宗教-古代から15世紀までの通商と文化交流-

R.C.フォルツ、常塚聴訳、教文館、2003年。シルクロードの宗教


目次

  1. シルクロードと旅人たち
  2. 古代ユーラシアにおける宗教と交易
  3. 仏教とシルクロード
  4. 異端者の隠れ家-シルクロードにおけるネストリウス派とマニ教-
  5. シルクロードのイスラム化
  6. キリスト教世界の誤算
  7. もはや「るつぼ」ではない
30
中国からインドへ 五世紀の法顕 七世紀の玄奘
32-33
トランスオキシアナ ソグド人はインド・ヨーロッパ語族でイラン系 中国からヨーロッパに紙の生産技術をもたらす
36
「イラン的、あるいはヘブライ的伝統はどうやらシルクロードにおいては改宗を求める伝統ではなく、祖国を離れたイラン人、あるいはユダヤ人共同体の新香を保持しようとするものであったようである。」
つまりゾロアスター教やユダヤ教の聖典は言語に束縛される。改宗に積極的な仏教、マニ教、キリスト教はその土地の言語で布教、また聖典を翻訳する。
39
子孫に宗教を伝える女性の役割 糸紡ぎ、料理、子守唄など歌で教えが民衆に伝承
46
テュルク語:ウラル=アルタイ語族 イラン語:インド=ヨーロッパ語族
50
ツァラトゥシュトラ(ゾロアスター)は中央アジアのイラン系遊牧民。BC13C?、BC6C?…いつの人かわからない。
53
インド=アーリア系民族は太陽と火=浄化 イラン的宗教の特徴月の崇拝 古代メソポタミアでは月=天の雄牛
55
アッシリアは北イスラエル王国を、バビロニアは南ユダ王国を滅ぼした。それぞれのケースでユダヤ人はホラーサーンやメソポタミアで奴隷として労働。後にペルシャがバビロンを征服した時ユダヤ人は解放されたが故郷に帰らずペルシャ王国内に散らばった者も多い。
58
ペルシャ→ユダヤ教(後にキリスト、イスラム)への影響 聖書『エステル記』はBC4Cイランで成立?
62
ユダヤ人は漢代には中国にいたっていた 開封のシナゴーグ
「古代においては宗教的理念はその『所有者』が物理的に移動するという方法によって地理的に東に広がっていったということができるだろう。62」
つまり宣教活動で広まったのではない 周王朝にイラン人の占い師が雇われていた(文献あり) 道教や仏教にゾロアスター・イラン起源の影響65
世界で最初に宣教活動をしたのは仏教
73
インド西北部=ガンダーラ:インドとイランの出会う場、さらにアレクサンドロスの時代以降ギリシア的要素が加わる、セレウコス朝
73
影響の例:金剛力士の美術的モデルはヘラクレス
75
クシャーナ人の起源=インド=ヨーロッパ語族の大月氏 BC2Cにクシャーナ地方起源の天然痘が通商路で伝わり地中海で蔓延
84
仏教の伝搬:インド→トランスオキシアナのイラン系住民ソグド人(パルティアなど)→シルクロード→中国=中国仏教→シルクロード→西域
86
浄土教=イラン的要素:北インド→中央アジア→中国→日本
密教=タントリズム:東インド→中国/→チベット
禅:南インドorイラン→中国で道教から影響
113
「蘭州と瀋陽にあったゾロアスター教の寺院は定期的に奇術の見せ物を行い、多くの観客を集めていた。113」 玄宗は国内でそのような活動を行うことを奨励した。
114
3Cのメソポタミア=ギリシアとイランの緩衝地帯、イスラエル人、ゾロアスター教徒、グノーシス主義キリスト教などが共存
「預言者マニは216年パルティアの王家の血を引く両親の下に生まれた。114」
最初の宣教はクシャーナ地方
125
イスラム教徒著述家のイブン・アンナディームは
「ホラーサーンの政府はサマルカンドに五百人のマニ教徒の集団があると聞き、これを討伐しようとしたと述べている。125」
142
「アラブ人にとって、隊商を襲撃するというのは確立された経済生活の一部であった。ただし、同族や非戦条約を結んだ集団の隊商は襲撃しないというのが決まりであった。142」
143
アラブの経済は略奪が必要=商業しかないから、あとは砂漠だから
155
イランがイスラムに征服された後ゾロアスター教徒がシルクロードを東へ逃げる ササン朝最後の皇帝ヤズデギルド三世の皇子ぺーロースは長安の唐の宮廷にむかえられ将軍となった
158
ユダヤ人商人の基盤はローマのガリア地方(アルル、マルセイユ) 奴隷交易で不正 奴隷を宦官にした ユダヤ商人と捕獲されたスラブ人の通過点=北カスピアン地方のテュルク系ハザールと結びつけたのは奴隷交易 九世紀のペルシャ人地理学者イブン・ホルダーズビー
注)イブン・ホルダーズビー(フルダーズビー):アッバース朝カリフ、アル=ムウタミに任えた。カリフの依頼で『諸道(諸道路?)と諸国の書』を書いた。
第六章
モンゴル系王朝は各宗教を公平に取り扱おうとした。しかし君主たちに個人的な好みはあったが基本的にはシャーマニズムでテングリを至上としており改宗した例は少ない。各宗教の指導者を利用、登用したことが、かえって宗教間の対立を深めた。
203-208
シルクロードはヨーロッパが海路で直接インドや中国にアクセスするようになった16世紀ごろ衰退。
シルクロード・中央アジアのキリスト教(ネストリウス派)はいつ、何が原因で消滅したのかは研究が進んでいない。
209
マニ教:
中国、841~846年弾圧、その後道教や仏教と習合した 元はマニ教にも寛大であったが、明朝は弾圧した。15世紀ごろから地下に潜伏し17世紀ごろまでは存続。