西アジア史II イラン・トルコ -世界各国史9-

永田雄三、2002年、山川出版社

西アジア史II イラン・トルコ古代オリエントから、現在のトルコ、イラン、アフガニスタンまで網羅されている。

第二章第3節
トルコ人の改宗とトルコ系王朝の出現

p79
ガズナ朝の成立

p89
ニザーム・アルムルク『統治の書』

p92

サンジャル時代のジュワイン地方のシャフナへの任命状に「腐敗せる者たち、邪悪な者たち、とくにアイヤールの名で山中を徘徊する者たちの集団、ムスリムに害をなす『ジプシー』と盗賊たちを、その地方から一掃すること、増大する一方の彼らの悪行を禁止することが、汝のもっとも大切な仕事であると知れ」と書かれているのは、シャフナが都市以外にも出没したアイヤールらの取り締まりをおこなっていたことを裏付けている。

p112

サンジャルが大敗を喫したヒタイとは、アラビア語史料で「ハター」または「ヒター」と呼ばれ、13世紀のペルシャ語史料で「カラ・ヒターイ」と呼ばれた、東北アジアで半農半牧の生活をおくっていた契丹(キタン、キタイ、ヒタイ)人のことで、1125年に彼らが北中国を中心に建てていた遼朝が侵攻の女真族の台頭により崩壊すると、その一部は中央アジアへ移動したのである。