アンダルシアにおけるアラブ音楽に関するノート(I) より

アル・イスバハーニー『歌の書』 9~10世紀に書かれた
アル・マッカリー『柔らかきアンダルシアの木枝より来る芳香の息吹と、その宰相リサーン・アル・ディーン・イブン・アル・ハティーブの追憶』16~17世紀に書かれた

イギリスのアラブ音楽史の大家
H.G.Farmer 『アラビア音楽史』
奴隷の呼称など
ウンム・アル・ワラド umm al-walad 主人の子を産んだ女奴隷
カイナ qaina (アラブから見た北方から連れてこられた)職業女性歌手
奴隷ではないが
ダジーナ 雨乞いのために歌い踊る女性、呪術
泣き歌き歌が洗練されて悲歌nauh(hの下にピリオド?)になった。悲歌に秀で職業的に歌う女性 ナーイハ nā’iha(hの下にピリオド?)
ウマイヤ朝初期にはカイナとナーイハは同義であった。
歌姫 jāriya ジャリーヤ
ムハンマド時代に歌は禁忌の対象となるが3代正統カリフ ウスマーンの時代に復権し女性歌手も活躍する。このころ女形の男性歌手が登場し、7世紀~8世紀のはじめに男性歌手が登場する。
堀内勝
ジャーヒリーヤ文化の一考察『イスラム世界』 第9号、1973年
歌謡と詩、歌と踊りは独立していなかった。

都市の宴と歌の世界 『東方の輝き』

アブド・アル・ラフマーン1世はウマイヤ朝後期の歌姫(そのときは老婆) アジャファーウ(アフザー)をアンダルスに呼んだ。