ハザール 謎の帝国

S.A. プリェートニェヴァ、城田 俊 訳、新潮社、1996年。ハザール謎の帝国

6c アルタイ系騎馬民族、トルコ系言語、突厥文字
突厥の王家 安史那氏
7c中 カスピ海~クリミア半島に至る
10c中 スペイン コルドヴァ王国の大臣 ハスダイ・イブン・シャプルト(ユダヤ人)
 →ドイツの使節メンバーでユダヤ人学者 マル・サウル、マル・ヨセフ→ハザールのヨセフ可汗に手紙
古ユダヤ文献ではテュルク系はトルガマ(トガロム)という。
ノア-ヤペテ-トルガマ-10人の子…このうちの一人がハザールの祖
ハザールはプランの時代にユダヤ教に改宗
p32
イブン・フルダードベ『道里記・郡国誌』9cアラブ語地理書中最も価値がある←アレのこと?
イブン・ファドラーン『手記(リサラ)』10c初
p35
445年 アッテラがフン族の王になる
ハザールの首都イティル
p36-39
「サヴィル」とは何を指すか?
p55
最初の首都ヴァラチャン、ベレンジェル、セメンデルなどの都市
 ↓                   ↓
スラク河畔のチル・ユルト村遺跡?    カスピ海沿岸、現在のマハチカラ?
p110
アラブ戦役:可汗は形だけとなりブルガルのハンが共同統治者=王(ベク)→二重王権
p114
クリミアのゴート系住民の反乱:指導者ゴート大主教の主教ヨアン
ゴート大主教区=ハザール領内の7つの主教区のひとつ、クリミア
p116
8c終 オバディア可汗ユダヤ教に改宗
オバディア-マナッセ(死亡?)
     └エゼキア(死亡?)
オバディアの弟が帝位を継ぐ
p127
860年 ビザンツからキリスト教布教特別使節団:団長コンスタンティノス
信仰上の議論がしたいとハザールが申し入れ
p130
ルシ(ロシア)人がハザールへ侵攻、勝利 将:スヴァトスラフ
10c末 スヴァトスラフの息子ウラディミル、クズ人と同盟し再びハザールへ侵攻、占領
695年 ビザンツのユスティニアヌス2世クリミアのケルソネスに流される
 ↓
ケルソネスの住民が復帰活動をビザンツに密告
 ↓
ハザールの保護領クリミアのゴーディアに逃亡
ハザールの可汗が助力を申し出、娘(妹?)を妻として与える、キリスト教に改宗しテオドラ、息子はティベリウス
 ↓
ドナウのブルガリアに逃亡
 ↓
705年帝位に復帰
710年 ユスティニアヌス2世ケルセノスに軍を差し向ける
 ↓
ケルソネス、ビザンツから離脱。可汗のもとへ
ケルソネス住民がユスティニアヌス2世に反乱:主導者アルメニアの富豪パルダネス:フィリッポス帝を後援
ユスティニアヌス2世可汗に関係修復を計る→しかし可汗はパルダネス側に、皇帝軍も寝返る
711年 パルダネスがコンスタンチノープルに渡る、ユスティニアヌス2世処刑、ティベリウスも殺される
●中国の文献
突厥可薩(カザール?)部=中国での呼称 葛薩[katsat]とも書く(『旧唐書』)ではウィグルの一部
10cペルシャの宇宙・世界論『フドゥード・アルアラーム』作者不明
p166
『経行記』杜環(とがん):名門の知識人で杜甫とも血脈
※『経行記』は残っていない。親戚の杜佑(とゆう)編纂の『通典(つでん)』の注記に一部あるのみ。
タラス河畔で捕虜となる
 ↓
タシケント→サマルカンド→ブハラ
 ↓
アムダリア
 ↓
ホラーサーンの首都マルウ
 ↓
ユーフラテスのクーファ(アッバース朝の首都)
 奴隷身分から解放される条件でイスラームに入信
【帰路】
 ↓
バスラ
 ↓
ペルシャ湾
 ↓
海路
 ↓
セイロン
 ↓
広州
p169
『カスピ海南岸の諸国と唐の通交』前嶋信次の卒論
アラブの侵入を受けたタバリスタンが唐に朝貢 745年 747年
p171
ハザール可汗の妹チチャク(イレーネ)コンスタンチノープルで皇妃 (え?テオドラちゃうの?)
p173
『北史』亀慈国伝
p175
9c末 広州に多数のユダヤ人がいて絹を買い集めて売っていた
p178
ハザールの輸出品:毛皮、奴隷(slave=肌の白い スラブ人の語源)→アラブへ販売
p189-191
二重王権・多神教⇔絶対君主制・一神教
聖と俗 分離:通常時、集中:外からと内からの危機時、戦時、革命、敗戦
p203
ブラン時代:カライ派ユダヤ教
オバディアの時代(10c)正統派ラビ主義ユダヤ教