シルクロードと唐帝国 -興亡の世界史05-

森安孝夫、2007年、講談社


p89

我が国における初期のソグド史研究の代表作は、白鳥庫吉[しらとりくらきち]「粟特国考」(1924年)であり、一方、北中国を含むシルクロード東部に発展したソグド人に関する研究も羽田亨「漠北の地と康国人」(1923年)、藤田豊八「西域研究(4)薩宝につきて」(1925年)、桑原隲藏[じつぞう]「随唐時代に支那来住した西域人に就いて」(1926年)、石田幹之助「「胡旋舞[こせんぶ]」小考」など、ほぼ同時期に集中している。

p96

>紀元1千年紀にはソグド人が中央ユーラシア全域に雄飛して各地にコロニーを作り、有名な商人としてだけでなく、武人や外交使節、宗教の伝道者や通訳、音楽や舞踊・幻術などに携わる芸能者などとして活躍したために、このソグド文字ソグド語が中央ユーラシアの、とりわけシルクロード東部の国際共通語となったのである。

p107

後漢から魏晋南北朝時代の「胡」については今しばらく慎重でありたい。[...]例えば6世紀の『洛陽伽藍記』巻三には、「葱嶺[パミール]より巳西、大秦(=東ローマ帝国)にいたるまでの百国千城は、(北魏に)款附(心からつき従う)せざるなし。商胡・販客は日ごとに塞下に奔る。(国境地帯に押し寄せる)」とあるが、同書には「乾陀羅国胡王」とか「波斯国胡王」という表現もあって、「胡」は必ずしもソグドを指していない。

p126

中央ユーラシアの遊牧民に史上初めて文字文化をもたらしたのは、スキタイにおけるペルシア人やギリシア人でも匈奴における漢人でもなく、突厥におけるソグド人だったわけである。

p207

代音楽の淵叢といえるのは西アジア・インド・中国の三者だけであるが、その中国へ西アジア特にイランの音楽と、インドの仏教音楽とが新しい楽器とともに中央アジアを通って伝わってきたのである。それが最高潮に達したのが唐代であり、唐代には前代に比べて楽器の種類が豊富で三〇〇種類もあったという。

西域音楽:安国楽・亀茲[クチャ]楽、亀茲は西域音楽の最大の中心地。

p209

古来シルクロードの要衝であった河西回廊の涼州は、南北朝末からソグド人の集住地となっていたが、唐代では「百戯繚乱を競い」、剣舞・跳擲[ちょうてき]・獅子舞・胡騰舞などが盛んに行なわれた地であった。

岸辺成雄『唐代楽器の国際性』

p211

玄宗皇帝は音楽の愛好者
宮城西北の梨園の一隅に教習期間を設置し[...]皇帝梨園弟子となし、自らが教官となって養成に当たった。これがいわゆる梨園の起源である。

p222

ソグド人女奴隷オパチ売買契約文書(ソグド語)、639年
同じ定型句
3~4世紀のカロシュティー文字乾陀羅語文書
678年バクトリア語契約文書 バクトリア語:クシャン朝の公用語の1つで、東方イラン語に属する←ソグド語の文書はこちらの伝統を受け継ぐ

p359

真に「世界史」の名に値する最初の歴史書は、モンゴル帝国イル汗朝に宰相として仕えたラシード=ウッディーンが14世紀初頭に著した『集史』であり、これがモンゴル時代の西アジアで成立したことの意義は実に大きい。